昭和28年の年頭に、若き池田先生をはじめとする青年たちが、戸田先生に贈った詩が、土井晩翠の、「星落秋風五丈原」の詩で、諸葛孔明の晩年の苦衷を歌った名作である。
たまたまこの曲を知っている青年がいて、戸田先生の前で歌った彼らに、戸田先生は繰り返し、繰り返し6回も歌わせ、そして青年たちにこの詩の心を語り始めた。
「歌は、心で聴くものだ。そうすれば、その歌の精神が明瞭にわかるだろう。聴く心がなければ、言葉はわかっても、その歌の精神は、わかるはずがない。詩は、諸葛孔明の死に瀕した時の苦衷を歌ってはいる。さぞかし辛かったであろう・・・と思えば、それまでの世界の歌である。
諸葛孔明の心情が、私の心底深く訴えるところのものは、そんな感傷のみではない。使命に立ち、使命を自覚した人間の責務と辛さです。諸葛孔明には、ぜひとも成し遂げなければならぬ使命があった」
「しかも、孔明は、明日をも知れぬ断崖絶壁の命となっている。味方の軍勢は負け戦の最中だ。このような瀬戸際に立った時、人は、何をどう考えるか。悔恨などという生やさしいものではない。まして、あきらめることができるものではない。しかし、このままで、今、死ななくてはならない。黙然として、頭を独り垂れる時、諸君ならどうするか?」
「この時の孔明の一念が、今日も歴史に生き続けているんです。私が、今、不覚にも涙を流したのは、この鋭い一念が、私に感応を呼び起こしたからだ。
これだけ言っても、まだ諸君は、わからないと思うから・・・あえて言うならば、まず最初の一節は、疲弊の極みにあった宗門の姿ではないだろうか。誰が、それを心から憂えたか。丞相は、いったい誰だ!
その次は、夢にも忘れぬ大聖人様の御遺命を、わが使命として身命を賭している者のことだ。すなわち、大樹がひとたび倒れたら、日蓮大聖人の仏法の命運は、いったいどうなることだろう。私も、今や病気だらけの生身の体だ。私が、ひとたび倒れたら、広宣流布はどうなるか。私は、尊い偉大な使命を自覚するがゆえに、ほかは誰一人、それを自覚しないがゆえに、涙なくしては考えることができないのです。私は、今、倒れるわけにはいかないのだ。死にたくも死ねないのだ」 「
切々たる言葉であった。至極の叫びであった。この一言は、等しく一同の胸を突いた。
「次に、『四海の波乱収まらで・・・・』とあるが、今も昔に変わらぬ乱世である。民衆は、神も仏もあるものかと、苦しみ喘いでいるではないか。広宣流布の実現した平和世界も、われわれは想像のなかでは描くことができるが、現状の社会では、それも一片の春の夢にすぎない。野心と陰謀をたくましくした、多くの指導者たちは、見苦しくも中原に鹿を逐って争っている。そのなかで、真の平和楽土を築こうなどという、崇高なる決意で立っている者は、誰一人いない。残酷非情な戦いが、乱世の原理というものだ。
次の『嗚呼南陽の旧草廬・・・・』これは、諸葛孔明が、何を好んで、蜀の宰相になって、苦しまねばならなかったのか。彼は、二十数年前のように、南陽の地で、農民と親しく交わり、冗談を言い、笛を吹いていようと思えば、それもできたはずであった。しかし、民の苦しみを救うためには、それも許されなくなっってしまった。
私も、広宣流布の使命を自覚するまでは、思う存分働いて、酒でも飲みながら、この世を面白おかしく送ろうと思えば、できないことでもなかった。何を好んで、寝ても覚めても、厳しい使命の実現に骨身を削らねばならんのか。こうして、諸君と共に戦っているというのは、不思議といえば、不思議なことだ」
戸田は、弟子をかばいながら、自身の深い心境を語り続けるのであった。
歌詞の説明は、「成否を誰れかあげつらふ 一死尽しゝ身の誠 仰げば銀河影冴えて・・・」の段に入った。
その背後に去来するものは、まさに彼自身の姿でもあった。
「ここは、世間的な野心などというものでは全くない。時代を、苦しんでいる民衆を、全衆生を、永遠に根本から救済するということは、平凡な動機などでは考えられない大事業だ。これ以上の大事業が、どこにあるかと私は言いたい。その成否については、人は勝手なことを言うだろう。どんなことを言われようとも、身を賭して、広宣流布への誠を尽くす以外に、なんの方法があろうか。
今の私の心中を、誰が、いったい理解しているだろう。私の孤独は、ここにある。私は凡夫だ。大聖人様だけが、御本尊様だけが、ご存じだろう。そう思えば、初めて大勇が湧いてくる。私には、それしかないのだ」
平常の戸田とは、違っていた。彼の胸奥の吐露は、言語となって空間に響き、一座の人々の内面を深く統一していった。それはまた、自らの心をも凝視するかのようであった。
「『嗚呼五丈原秋の夜半 あらしは叫び露は泣き』の最後の段にいたって、諸葛孔明は、遂に死ぬのだが、悲しいことに、使命の挫折を歌っている。孔明の名は、確かに千載の後まで残るには残ったが、挫折は挫折です。孔明には、挫折も許されるかもしれないが、私には、挫折は許されぬ。広宣流布の大業が挫折したら、人類の前途は真っ暗闇だからです。
誰かが、この大業を遂行してくれるなら、私は、いつどうなってもかまわない。しかし、今が今は、誰一人いない。諸君をいくら信頼しても、どうにもならないのが現状なんだよ。どんなに辛くても、いやでも、誰が何と言おうと、今の私は、重い使命に、一人生きる以外、仕方がない。誰も知らぬ、誰も気もつかぬところで、私は、体を張ってやるより仕方がないのだ。私を支えているのは、ただ大聖人様の、御照覧への確信だけです。
このことを思う時、初めて随喜の涙も流れてくる。今夜の“五丈原”の歌が、私の心中を極めて近く表現してくれているから泣けるんです。
少しは、わかってくれたかね。もう一度、歌おうではないか」
率直であった。誇張もなければ、偽善もない。澄んだ感情は、人びとを揺り動かさずにはおかなかった。
〽 祁山悲秋の 風更(ふ)けて
陣雲暗し五丈原
零露の文は繁くして
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
またも、“五丈原”の歌声が響いた。