6日の午前3時過ぎ、突然の停電と同時に、
なんとも言えない不気味な地鳴りの音とともに、家が大きく揺れ出した。
家中のあちこちでものが落ちる音や、割れる音などが聞こえ、
真っ暗闇の中で、ただじっと揺れが収まるのを待つしかなかった。
ようやく揺れが収まると、懐中電灯を真っ暗闇の中で探すがなかなか見つからない。
二階の窓から外を見ると、漆黒の闇夜が広がっており、
外に飛び出した人たちの声が聞こえる。
ようやくの思いで懐中電灯を見つけ、一回の居間に降りてみると、
妻と子どもたちが体を寄せ合っている無事な姿を見て一安心する。
妻も、子どもたちもスマフォのライトをつけて家の中を点検してみる。
どうやら、我が家は大きな被害がなく、倒れた家具類もなかったが、
食器棚の中のコップが一つ割れただけであった。
外に出て様子を見てみると、津波を心配して高台に逃げていく人たちもいた。
娘が、スマフォから流れる情報で、震源地は安平(あびら)らしいことがわかり、
震源地が内陸なので、津波の心配はないと思っていると、
市の防災放送が流れ、津波の心配はないとの情報が入る。
空を見上げると、どこも赤くなっていないので、近所での火災も発生していそうもない、
空を見上げて、ふと気付いたことは、星がなんときれいなんだろうかということだった。
北海道内がほとんど停電になったため、家の庭で見上げる星空が、こんなにきれいだったとはと、しばし感心してしまう。
そのためか、パニックにならずつとめて冷静な行動をとることができた。
のんびりし過ぎたせいか、昼近くに近所のコンビニに行ってみると、棚はほとんどが空になっていて、買えるものが無くなっていたことだ。
近くの大型スーパーも、店内には入れず、入口に長蛇の列ができており、店頭で販売している様子を見て、あらためて大きな災害になったんだと認識させられる。
停電のため、テレビのニュースを見ることもできず、
スマフォが唯一の情報源となって、道内の他の地域の被害情報を知るにつけ、
深刻な災害となっていることを改めて知る。
私の住んでいる苫小牧市は、震度5強だったというが、
ここからそれほど遠くない厚真町では、犠牲になられた方々が30名を越している。
長く続いた停電も徐々に解消され、我が家に電気が来たのは昨日のこと。
電気が来たときには、思わず家族で拍手が沸いた。
ふと、私の脳裏に新・人間革命第2巻・錬磨の章のある一節が思い浮かんできた。
その「錬磨の章」には、昭和34年の伊勢湾台風の折、
当時総務だった池田先生が被災地に駆け付け、被災者の方たちを激励した時のことだ。
「人間の真価は、最も大変な苦しい時に、どう生きたかによって決まります。さらに勇気の人、希望の人がいれば、周囲の人も元気が出てきます。
学会員である皆さん方には、ご家族をはじめ、近隣の友を励まし、勇気づけていく使命があるんです。すべてを信心の飛躍台として、見事に変毒為薬してください。そして、信心の勝利の実証を示し切っていただきたい。」
人間の真価は、最も大変な苦しい時に、どう生きたかによって決まる。
私自身にとって、この先生の激励の言葉は、「嗚呼、先生の弟子であってよかった」と、
思わずにはいられない、感謝の気持ちでいっぱいの災害日となった。
なんとも言えない不気味な地鳴りの音とともに、家が大きく揺れ出した。
家中のあちこちでものが落ちる音や、割れる音などが聞こえ、
真っ暗闇の中で、ただじっと揺れが収まるのを待つしかなかった。
ようやく揺れが収まると、懐中電灯を真っ暗闇の中で探すがなかなか見つからない。
二階の窓から外を見ると、漆黒の闇夜が広がっており、
外に飛び出した人たちの声が聞こえる。
ようやくの思いで懐中電灯を見つけ、一回の居間に降りてみると、
妻と子どもたちが体を寄せ合っている無事な姿を見て一安心する。
妻も、子どもたちもスマフォのライトをつけて家の中を点検してみる。
どうやら、我が家は大きな被害がなく、倒れた家具類もなかったが、
食器棚の中のコップが一つ割れただけであった。
外に出て様子を見てみると、津波を心配して高台に逃げていく人たちもいた。
娘が、スマフォから流れる情報で、震源地は安平(あびら)らしいことがわかり、
震源地が内陸なので、津波の心配はないと思っていると、
市の防災放送が流れ、津波の心配はないとの情報が入る。
空を見上げると、どこも赤くなっていないので、近所での火災も発生していそうもない、
空を見上げて、ふと気付いたことは、星がなんときれいなんだろうかということだった。
北海道内がほとんど停電になったため、家の庭で見上げる星空が、こんなにきれいだったとはと、しばし感心してしまう。
そのためか、パニックにならずつとめて冷静な行動をとることができた。
のんびりし過ぎたせいか、昼近くに近所のコンビニに行ってみると、棚はほとんどが空になっていて、買えるものが無くなっていたことだ。
近くの大型スーパーも、店内には入れず、入口に長蛇の列ができており、店頭で販売している様子を見て、あらためて大きな災害になったんだと認識させられる。
停電のため、テレビのニュースを見ることもできず、
スマフォが唯一の情報源となって、道内の他の地域の被害情報を知るにつけ、
深刻な災害となっていることを改めて知る。
私の住んでいる苫小牧市は、震度5強だったというが、
ここからそれほど遠くない厚真町では、犠牲になられた方々が30名を越している。
長く続いた停電も徐々に解消され、我が家に電気が来たのは昨日のこと。
電気が来たときには、思わず家族で拍手が沸いた。
ふと、私の脳裏に新・人間革命第2巻・錬磨の章のある一節が思い浮かんできた。
その「錬磨の章」には、昭和34年の伊勢湾台風の折、
当時総務だった池田先生が被災地に駆け付け、被災者の方たちを激励した時のことだ。
「人間の真価は、最も大変な苦しい時に、どう生きたかによって決まります。さらに勇気の人、希望の人がいれば、周囲の人も元気が出てきます。
学会員である皆さん方には、ご家族をはじめ、近隣の友を励まし、勇気づけていく使命があるんです。すべてを信心の飛躍台として、見事に変毒為薬してください。そして、信心の勝利の実証を示し切っていただきたい。」
人間の真価は、最も大変な苦しい時に、どう生きたかによって決まる。
私自身にとって、この先生の激励の言葉は、「嗚呼、先生の弟子であってよかった」と、
思わずにはいられない、感謝の気持ちでいっぱいの災害日となった。