たいへんお気の毒なことです。
しかし、いつかは、誰人たりとも一度は死ぬものです。
また、御主人を亡くされたのは、あなただけではありません。
その悲しみは深く、寂しいこともあるでしょう、そいう目に会った人でなければ、その奥底の苦しみ、苦悩は、わかるものではないでしょう。

しかし、だれかが、おせじをつかってくれたからといって、宿命転換はできません。
結局、自分の力で生ききっていく以外にないのが、この人生です。
そのための、大法であり、信心であることを、忘れてはなりません。
生死の二法を解決できうる妙法です。
そういう重大時期があったとき、悠々と、ふたたび前進できるための御本尊であり、信心です。
そのときになって、”御本尊はどうしたのだろう。私はもう悲しくてしかたがない” といっていたのでは、あまりにも弱い人間であり、敗北者になってしまう。

信心は感傷ではありません。堂々たる、確固たる人生の前進です。幸福への前進です。
多くの学会員の中には、若い時に、御主人を亡くされた方が、何人もいます。
ですが、皆、立派に生き抜き、一家を繁栄させている。
ですから、御主人の追善供養のためにも、また、子供さんの成長のためにも、御本尊を今こそ抱きしめて、”ほんとうに御本尊の力はすごい、御本尊と共に、主人もいるのだ” という決心で信心を貫き通すことです。

信心は信心、主人は主人、死は死、悩みは悩み、と別々に考えるのではなく、一切法がこれ仏法ですから、この根本の信心によって、いっさいを解決していくことが正しいのです。
よく例えられることですが、人生とは1万メートルの競走をしているようなものなのです。
1万メートルいかなければ、成仏はできない。
福運のある人は、その1万メートルが平坦である場合と言えます。
宿業の深い人は、その1万メートルに川があり、谷があり、山があって、それを越さなければならない人もいます。
信心が強い人、生命力の強い人は、いずれにしても、1万メートルを、へこたれないで駆け足でいける。
信心が弱い人は、途中で休んで、そのまま動かなくなってしまったり、引き返したりしてしまう。
”進まざるは退転”です。いずれにしても1万メートルをきちんと歩くなり、駆け足なりしていかなければ、宿命打破はできない。宿命転換はあり得ない。一生成仏はできないのです。

いま、ちょうどあなたの眼前に、その谷がある。それが見えてきたからといって、あなたは引き下がるわけにはいかない。それを越していく以外にないでしょう。
その悩みを、その苦しみを乗り越えて、初めて成仏の境涯に到達できるのです。
あなた自身が大福運を積み、御主人にまで、立派に功徳を回向できるのですから、勇気ある前進をしていってください。
人になんと言われようと、そんなことはどうでもいい。強く生きなければなりません。
どんなに休もうが、人生の1万メートル競走だけは、走りきらなければならない。
だから早くやったほうがいいのです。あとが楽になるのです。
創価学会としての1万メートルは、広宣流布の実現ですが、個人個人についていえば、ぜんぶ個性が違うように、宿命も違い、その前進の姿も違ってくる。
しかし、1万メートルという長さには変わりないのです。

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