人生哲学の並木道

 宗教団体である「創価学会」と、「池田大作名誉会長」ほど、マスコミや世間から数々のバッシングを半世紀以上にもわたって受けている団体、個人はいないのではないだろうか。 これだけのバッシングを受けながら、今や世界192か国に日蓮大聖人の仏法を流布し、、SGI(創価学会インターナショナル)は世界宗教として発展を遂げてきている。 私もそのなかの一人の会員として、日蓮大聖人の生命哲学を、師匠である池田名誉会長より日々学ばせていただいている。 「宗教は人間の精神を培い、人間の営み全般に道徳基盤を与える」とは、マハトマ・ガンジーの言葉ですが、まさに宗教哲学なき人生は、羅針盤のない船のようなものです。 このブログの目的は、そうした人生全般にわたる指南を書き記しておく、私の学びのノートです。

(前回)「1956年(昭和31年)参院選大阪地方区で奇跡的勝利の淵源」に続きます。

 参院大阪地方区の候補者に内定した、白木義一郎は慌てていた。
 意気消沈したように、「えらいことになった、どうしたらいいのだろうか」と彼は、池田先生宅に訪ねたときに胸の内を吐露している。

 池田先生は・・・「いや、互いにこの世の使命を自覚して、思い切り頑張ろうよ」「どんな戦いでも、戦ってみなければわからないものだよ」
 「大関西の広宣流布の基盤建設は、ぼくにとっての初陣だ。また義っちゃんは、7月の選挙に打って出る。これは義っちゃんにとっての初陣だ。共に運命の戦いだよ。生やさしい事とは思えないが、戸田先生が、『やれ』とおっしゃった。それだけで十分じゃないか」
 「『臆病にては叶うべからず候』(御書1193p)だよ。腹を決めなさい。あとは一切を御本尊にお任せして、祈り切って前進してみようよ」

 20万票以上といわれる当選ラインに比して、大阪地方区の会員世帯は、3万に満たない。大阪地方区は、誰が見ても、はなはだしい劣勢にあった。
 白木の落選は、火を見るより明らかな計算となる。
 池田先生は、関西に広宣流布の一大拠点を築くことも、また、白木が立候補する大阪地方区の参議院議員選挙の支援も、絶対に負けるわけにはいかなかった。その理由は明白であった。

 ”第一に、戸田先生の構想の一つを破綻させることになる。第二に、自身の広宣流布の本格的な初陣に敗れることになる。それは、使命ある生涯の挫折に通じてしまう・・・・・。いかにしても勝たねばならない。もし、これを勝利の栄冠で飾るならば、この初陣の一戦を本源として、未来のこうした戦いが勝利に通ずる道を開くことができる。所詮、勝利する以外に道はない”

 当時は、わからなかったが、今にして思えば、実は、池田先生の力量の実証であり、彼の生涯を決定する一戦であった。
 池田先生は、どんな辛労を重ねても、どれほどの苦難に遭遇しても、耐え忍び、目的を完遂しようと、固く一念に決めた。
 彼は、たった一人であったが、既に立ちあがったのである。

・・・・・( 続く )

川にかかる霧

 公明党の前身・公明政治連盟の結成は1962年。そのさらに前史として、54年に設置された、創価学会文化部による政治進出があった。
 文化部は、55年4月の統一地方選挙で初陣を飾った。創価学会から文化部員として立候補した54人のうち、市議選で1名が落選した以外は、全員が当選した。
 そして、翌56年(昭和31年)7月の参院通常選挙で、文化部は初の国政選挙に挑戦。全国区の2名と大阪地方区の白木義一郎が当選。
 大阪地方区の創価学会員は、当時わずか3万世帯ほどでしかなかった。にもかかわらず、白木は実に21万8,915票を獲得。社会党現職や自民党元職の候補を破り、3位当選(定数3)を果たした。それは、新聞が「”まさかが実現”」(同年7月9日付「朝日」大阪本社版 夕刊)との見出しで報じたほど、誰もが驚く奇跡的な勝利だった。
 では、なぜその「”まさか”が実現」を成し遂げることができたのか、その奇跡的勝利の淵源をたどってみたいと思う。

 戸田2代会長は、大阪地方区の支援活動の責任者に指名したのは、若き池田先生であった。当時、支援する学会の組織は、いまだ脆弱であった。まだ学会世帯が、約3万では、選挙の勝利は、とうてい望めそうもなかった。当選ラインは、20万票以上といわれていた。無謀というほかない。
 大阪地方区は、戦わずして、既に、はなはだしい劣勢に置かれていた。3万ほどの世帯は、いずれも入会の日なお浅く、幹部の育成も、やっと始まったばかりのところであった。
 戸田城聖の目には、当時の大阪の厳しい実態が、はっきりと映っていた。それを知りつつ、なおあえて断行し、その大阪の支援活動を若き池田先生に託したのである。
 もしも、池田先生の存在が、戸田会長の胸のなかで、年月とともに大きくなっていなかったとしたら、戸田会長は、この指名を口にすることさえなかったであろう。
 戸田会長は、この支援活動の指揮を、どうしても池田先生に執らせたかった。掌中の珠である池田先生に、敢えて未来への開拓の苦難の道を進ませ、その健気なる雄姿と、地涌の底力とを、戸田会長自身の没後のために
確かめておきたかったのである。戸田会長は、広宣流布の高遠な未来の一切を、池田大作という28歳の青年にかけていた。

 関西での戦いに対する、戸田会長の期待にも、池田先生は、ためらうことなく即座に応じた。
 しかし、遠大な目標と現実との間には、あまりにも懸隔がありすぎることに、気づかざるを得なかった。池田先生は、まず苦悩に沈んだのである。口には出さなかったが、いかに戦うべきかという難問が、昼となく、夜となく、池田先生自身を苛み続けた。
 池田先生が、苦しい思索のうちに悲鳴をあげようとしたとき、数々の御書の一節一節が、雲の湧くように、先生の脳裏に浮かんできた。そして、それらの御書の一節一節は、戦いの要諦は、必ずしも数にあるのではなく、少数でも、固い団結があり、そこに強盛な信力があれば、不可能をも可能にすることを、明確にして鋭く教えていた。
 日蓮大聖人の仏法が真実であるならば、末法今時の一信徒の彼にも、それが証明できない筈がない。「なにの兵法よりも法華経の兵法をもちひ給うべし」(御書1192p)とあるではないか。
 今、彼が頼るべきものは、御本尊と御書しかないことを、心から納得した。
 池田先生は、戸田会長の願いは、関西に盤石な常勝の組織をつくり、広宣流布の一大拠点とすることにあると、強く感じていた。池田先生は、その師の構想を実現する戦いの第一歩を踏み出すにあたって、「勝利」から逆算した。
 目的を成就するためには、なんといっても、信心を根本にした歓喜あふれる折伏・弘教によって、広宣流布への勝利の上げ潮をつくっていかなければならない。
 この歓喜ある実践のためには、御本尊に祈る信力を奮い立たせなければならない。それには、入会して日の浅い関西の学会員の間に、まず、日蓮大聖人の仏法が、いかに偉大であり、まことであるかという大確信を、みなぎらせなければならない。文証により、理証により、現証により、信心の歓喜の渦を起こさなければならない。
 彼は、幸いにして、このところ、教学部員候補の担当講師であった。
 ”そうだ!まず教学を通して、関西の愛すべき同志を励ましていこう”
 彼の脳裏に、懐かしい関西の、発心した友の顔が、幾重にも浮かんできた。
 その秋からの、彼の講義の言々句々に、強い熱情が込められたことは言うまでもない。

・・・・・・・・続く。

初の参院選


 

私(ブログ管理人)の好きな歌に、
旧制大阪高等学校の寮歌、「嗚呼黎明は近づけり」がある。
この歌は、学会歌としても愛唱歌としてよく歌った。
特に、私が好きな歌詞は3番の歌詞である。

それ青春の三春秋
交に友と呼び交わし
君が愁いに我は泣き
我が喜びに君は舞う
若き我らが頬に湧く
その紅の地の響き

歌には、「人を前向きにする」力がある。
歓びの歌、旅立ちの歌、革命の歌、愛の歌・・・・・・。
時に、それは、太陽のごとく、人々の心の大地を照らす。
大いなる勇気と希望を湧き立たせてくれる。
時には月光のごとく優しく人を包み、その心を癒し、明日への活力を静かに蘇らせていく。
一曲の歌が持つ力の大きさは、時として計り知れない。

月光

過去を振り返るのではない。
常に「現在」から「未来」への挑戦を始める。
永遠に「これから」「これから」である。
ゆえに行き詰まりがない。
目先のことに右往左往するのではなく、
世の毀誉褒貶をはるかに見下ろしながら、
永遠に「これから」の決心で進む。
そこに人間も鍛えられるのである。
セーリング

時代の混乱の原因の一つには、「知識」と「知恵」の混同がある。  
学んだ「知識」を何に使うか。
それが「知恵」である。
「知恵」のない「知識」をいくら集めても、価値は生まれない。
習った「知識」を記憶しているだけでは観念である。
それに対し、「知恵」は、生活であり、生きる力であり、生き抜く源泉だ。
「知恵」こそが、勝利と幸福につながる。
「知識」だけでは幸福につながらない。

「知識」は「知恵」を生むものです。
いわば「知識」はポンプ。
「知恵」はポンプによって得られる水。
水を使えなかったら、ポンプに意味はない。
また、「知識」という、ポンプなくしては、「知恵」という水も十分には得られない。

チューリップ

 学会活動に邁進している人は、いかなる試練もすべて、「煩悩即菩提(ぼんのうそくぼだい)」(生死即涅槃)と転じていくことができる。
 どんなに「いやだな」と思うことがあっても、すべて希望と福運の方向へ、永遠なる幸福の方向へと、回転させていくことができる。なんとすばらしいことか。
 では、時として、祈りが叶わないように見えるのは、なぜなのか。
 それは、より祈りが深くなるように、また、より強い人間、より深い人生になれるように、そして、より深き福運を、がっちりとつけるように、との御仏智なのである。
 なんでも、ちょっと祈って、すぐに叶ったのでは、人間は堕落してしまう。これでは立派な人生が築けるわけがない。会社に働きに行っても、その日に給料がもらえるわけではない。木を植えても、すぐに大きくなるものではない。
 本当に深き祈りも、死にもの狂いの努力もなくして、簡単に祈りが叶ってしまえば、人間を堕落させるだけである。それでは偉大な人間をつくる仏法ではなく、人間を破壊する仏法になってしまう。
 また、「叶う、叶わない」には、さまざまな要因がある。
 ゆえに、大切なことは、祈りは「叶うまで続ける」ことである。祈り続けることによって、自分を厳しく見つめることもできるし、地道な努力の軌道へと、生活を向上させることもできる。
 かりに具体的な結果がすぐには出ない場合でも、祈り続けた人は、何かの時に、結果として祈り以上の現証があらわれたり、また大きく守られていくのである。
 たとえば仕事のことを祈ったとしても、それだけでなく、より広く、大きく、人生万般にわたって、幸福の方向へと軌道修正されていく。
 後から振り返って、「これで良かったんだ」という所願満足の自分に、必ずなっていくのである。
 要するに、その人が本当に幸福になり、立派になるための祈りであれば、必ず叶う。すぐには結果が現れない場合でも、長い目で見れば、絶対に叶っていくのである。

すずらん

母の日は、アメリカで制定され、各国に広がった。
その淵源は、母を思う一人の女性の呼びかけであった。
人間性の真髄にふれるもの。それを一人の勇気ある人が訴え始める時、人類の心の海を、一波から千波、万波と伝わり、広がっていく。
そして、仏法は「人間性」の究極の世界である。
”母への感謝””礼儀”といった、美しい人間性を離れて、別のところに仏法があるのではない。
御書に仰せのごとく、もっとも道理にかなった、”人の振る舞い”が即、仏法の生命なのである。
ゆえに私たちの集いは、どこよりもあたたかく、こまやかな愛情に満ちた世界でなければならない。
また私たちが、そうした人間性の真髄を身につけ、洗練された豊かな人格を練り上げていくとき、自然のうちに社会の人びとの心を魅了していくにちがいない。

カーネーション
お母さんの愛を忘れてはならない。
お母さんの苦労を忘れてはならない。
お母さんの慈願が心に生きているとき、人間は決して大きく道を誤ることがない。

それと同じく、私たち凡夫が御本尊の大慈悲を忘れることなく、深き感謝の心で生きていくとき、心には仏界の光が大きく広がっていく。
そして御本尊の大慈悲につつまれた、根本的に安穏と歓喜の人生の軌道となっていくのである。
母の愛は深い。
母の力は偉大である。
そしてすべての人々が「母」を大切にすれば、必ずや世界も平和になり、幸福になっていくにちがいない。

 「自由」とは何か。
 どうすれば人間は自由を楽しみきっていけるのか。古来から無数の賢人、哲学者らが、このテーマを追い求めてきた。
 いな、そうした理屈以前に、人間は誰しも自由にあこがれる。不自由や束縛を嫌い、自由に生きたいと願うのは、人間本来の欲求である。「自由とは何か」を知らなくとも、自由が幸福のためになくてはならない条件であることは、誰もが知っているといってよい。
 そして、あらゆる人が自由を求めながら、事実の自由を獲得する人はあまりにも少ない。

 環境も大事である。しかし環境が全てであり、絶対なのではない。戸田先生は、牢獄という、この世で最も不自由な環境の中で、永遠の自由の境涯を獲得された。
 皆様方の中にも、お姑さんに縛られ、子どもにまとわりつかれ、ご主人や或いは奥さんに、仕事、職場の嫌な上司・・・・・すべてが、にっくき鉄の鎖に見えてくる経験をお持ちの方も少なくないと思う。

 「御義口伝」の「我等が一念の妄心(もうしん)の外(ほか)に仏心無し九界の生死(しょうじ)が真如(しんにょ)なれば即(すなわ)ち自在なり所謂(いわゆる)南無妙法蓮華経と唱え奉る即ち自在なり」(御書789p)と大聖人は仰せである。
 われわれ凡夫の迷いの生命を離れて、他のどこにも仏の生命はない。煩悩や宿業、苦悩に縛られた九界の生死も、妙法に照らされるとき、本来ありのままの真実の姿を顕し、「自在」の生死となる。すなわち南無妙法蓮華経と唱え奉ることによって、自由自在の生命活動となる。との御聖訓である。

 不自由に見える九界の現実の生活を離れて、どこか別世界に自由があるのではない。現実から逃避しても、他のどこにも真の自由はない。
 逃げ出すといっても、宇宙から逃げ出すわけにはいかない。何より自分の生命の外へ逃げ出すことは不可能である。
 その自分の生命が、宿命に縛られ、自身の弱さにとらわれ、苦しみに負け、誤った思想につなぎとめられているとしたら、いずこに行っても自由はない。


 日蓮大聖人は「今度生死の縛(ばく)を切って」と仰せである。
 生命をしばりつける迷いの”縛”を断ち切る剣こそ、妙法の実践である。
 仏界の境界にこそ、真実の自由がある。三世にわたって最高に自在の境界がある。わが信心の一念どおりに、自在に人生を開きゆく”力”と”智慧”に満ちてくる。妙法こそ事実のうえに、真の「自由」を実現する無上の大法なのである。

 皆さまにも、さまざまな苦難のときがあるだろう。しかし、そのときこそ、宿命を転換し、大功徳を受けるときと確信して、師子王のごとき信心を貫き通していただきたい。
 皆さまは正法を信じ、正法を行じ、弘め、正法の功徳につつまれながら、尊き人生を楽しく生きゆくお一人お一人であっていただきたい。
 一人ももれなく幸福であり、安穏であり、健康であり、長寿であられんことをお祈りいたします。

カモメ

 世間の人びとの常識では、とうてい不可能と思い込んでいることを可能にする力が、御本尊にはある。
 ただあきらめて、不可能と思っている人は、妙法の力を知らない人たちです。すべてを可能にする人は、その妙法の力を引き出すことのできる人です。

 日蓮大聖人は、このことを、ちゃんと御書にお認(したた)めになっている。
 「呵責謗法滅罪抄」の末尾に、次のような御文があります。
 「何(いか)なる世の乱れにも各各(おのおの)をば法華経・十羅刹・助け給へと湿れる木より火を出(いだ)し乾ける土より水を儲けんが如く強盛に申すなり」<御書1132p>

 これは、佐渡においでになった大聖人様から、四条金吾に宛てられたお手紙の一節です。
 当時、鎌倉で弾圧に遭っていた弟子たちの身の上を思い、佐渡流罪のさなか、諸天善神たちよ。なんとしてもわが弟子たちを守れ!と、遠くご祈念なさっている、深い偉大な慈悲の御心がうかがえます。
 ひどい乱世で、佐渡におられる大聖人は、弟子たちを、どうしようにも守ることはできない。とても不可能なことです。
 しかし、大聖人様の御祈念は、しっぽりと濡れた木をこすってでも、なお火を出させてみせる。また、カラカラに乾いている砂漠のような大地から、水をほとばしり出させてみせる。
 このように私は、強盛に祈っているのだ、と、お認めになっている。
 御本尊に対する祈りというものは、一大事の時には、このようなものでなければならぬとお示しになっているのです。

 今、私たちの置かれた立場や、合理的な考えに馴れてしまった頭脳では、不可能と思えることもあるでしょう。しかし、無量の力を御本尊は秘めていることを、日蓮大聖人は、明確に教えていらっしゃる。これを信じるか信じないかは、私たちの問題です。大聖人の正統派の弟子であるなら、まず強盛な祈りによって、不可能を可能とする実践が勇んで出てこなければなりません。

春の赤リス

 天台大師の止観に云く「無明癡惑・本是れ法性なり癡迷を以ての故に法性変じて無明と作る」とは何のことか。

 上記の文は、天台の「摩訶止観」にある一節ですが、この文のすぐ後の箇所に、「起は是れ法性の起、滅は是れ法性の滅」という有名な文があります。
 法性(ほっしょう)とは、「法の本性」ということで、あらゆる現象が起きるのも、滅するのも、すべてが妙法の働きであることを説いたものです。

※摩訶止観・・・・・法華経の法理をもとに、一念三千の法門を開き顕し、それを己心に証得する修行の方軌を示した書。全十巻。天台大師が隋の開皇14年(594年)に荊州玉泉寺で講述し、弟子の章安大師が筆録したもの。「法華玄義」「法華文句」とともに天台大師の三大部とされる。

 私たちに当てはめれば、法性とは一念の生命であるといえます。一念の変化によって、私たちは迷いの境涯に陥ったり、悟りの境涯に立ったりします。
 無明癡惑というのは、分かりやすく言えば迷いということで、九界の生命です。その九界の生命も「本是れ法性なり」と説かれている。九界の生命も、煎じ詰めれば、妙法であり、やはり一念から出たものだということです。

※九界・・・・・十界のうち、仏界を除く地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界・人界・天界・声聞界・縁覚界・菩薩界をいう。悟りの境涯である仏界に対し、迷いの境涯を指す。

 
では、わが生命、つまり法性が、どうして無明癡惑になるかというと、悪縁に迷わされるからです。
 生命というのは、縁によって変化します。生命は十界を具えていますから、謗法などの悪縁に触れれば、地獄・餓鬼・畜生といった三悪道に陥ってしまいます。逆に善縁、つまり御本尊に縁していけば、仏界を現じて幸福になっていくんです。
 この両方の生命の働きを、染浄の二法といいます。
 染法というのは、生命が悪縁に染まっていくということであり、浄法というのは、善縁に触れて、生命が浄化されていく働きのことです。

 私たち凡夫の生命は、弱さ、愚かさを持っています。その弱さ愚かさが癡迷です。癡迷に覆われた生命であるが故に、悪縁に触れると、染浄の二法のうち染法が働いて、法性はどうしても無明になってしまいます。
 日蓮大聖人はその理(ことわり)がお分かりになっていたので、御本尊を末法の我々に残されたんです。この御本尊を拝むことによって、染法が働きやすい生命を、浄法が確実に働く生命へと、変えることができると教えてくださっています。
 御本尊は極善の縁です。この御本尊を拝むことで、絶対の幸福境涯を築いていくことができるんです。

孤独なベンチ

大胆なれ、さらに大胆なれ、常に大胆なれ、、、、、

大事に臨んでの、先人の箴言である。

スノードロップ


 戦いの要諦は、必ずしも数にあるのではなく、少数でも、固い団結があり、そこに強盛な信力があれば、不可能をも可能にする。「何の兵法よりも法華経の兵法をもちひ給うべし」(四条金吾殿御返事:法華経兵法の事ー1192p)。

 われわれは、宗教屋ではない。みんな、それぞれの、この世の使命の分野に、大きく、思う存分、羽ばたくことになっている。一人残らずだ。さもなければ広宣流布とは言えない。今は、そのための仏道修行であり、人間革命の時である。
 自分の名聞名利や、野心のために活動をすることは、断じて相成らぬ。信心は、どこまでも純粋でなければ、厳しい魔と戦う強靭な生命は育たない。ここのところが、最も重要かつ大事な要、これだけは永久に忘れてはならない。

 人生は悩まねばならぬ。悩んで初めて信心もわかる。それで偉大な人になる。

 御本尊と信心、これに一切が、かかっている。どのような時代に、どのような事態に遭遇しようと、妙法の指導者たる人の資格は、法華経の兵法を将軍学とするか、しないかにある。

いちご

 1955年(昭和30年)の秋は、創価学会の大飛躍を示す行事が、次々に続いた。
 11月3日の秋季総会は、後楽園球場で、7万余の会員が結集したこの秋季総会には、テレビをはじめ、新聞各社の記者やカメラマンも取材に来ていた。
 ところが、どうしたわけか、どの新聞も、テレビも一言の報道もしなかった。マスコミ各社は、救世の情熱に燃える幾万の庶民の大集会を、ありのままに伝えることをためらったのである。

 その背後には、創価学会の急速な台頭に怯える既成勢力から、意図的に流された悪意に満ちた学会観があったことは間違いない。
 また、彼らの判断基準に、長く権力の支配下で骨抜きにされ、堕落していた宗教界そのものに対する、批判的な眼があったことも否定できない。
 しかし、民衆に基盤を置く学会は、そうした宗教の範疇には収まりきらなかった。そこに、彼らの戸惑いがあったにちがいない。

 ある時、戸田城聖は、「マスコミが、”しまった”と思った時が、広宣流布だ」と、語ったことがある。広宣流布とは、まさに、日本社会に広く蔓延する、宗教への無知、偏見、そして隠微な悪意の誹謗の霧を払い、厳然たる実証によって、人類の太陽たる真実の仏法を、輝かせゆく戦いでもあるのだ。それはまた、御聖訓に照らして、地涌の行進を阻もうとする障魔との、熾烈な戦いになることも必定である。
ライラック

 1955年(昭和30年)11月19日のM紙に、思いがけない報道記事が載った。
公安調査庁長官という位置にある役人が、ある講演会で話をし、そのなかで、創価学会を破防法で取り締まるというようなことを言ったというのである。

注(破防法)破壊活動防止法の略。暴力主義的破壊活動を行った団体に対する規制措置を定め、暴力主義的破壊活動に関する刑罰規定を補修した法律。基本的に治安立法の一種で、1952年(昭和27年)7月に制定された。

 
戸田城聖は、これを事重大と見て、11月の本部幹部会で、この報道に言及した。
「間違いないように、一つ言っておきたいことがあります。それは、先日のM紙に、公安調査庁長官が、学会の折伏行進は破防法に引っかかるとか、ひっかけるとかいう講演をしたという記事が出ている。これは、聞き捨てならぬもので、私としては、断固たる態度で臨まざるを得ません。なぜかならば、これが事実とすると、国家の役人たるものが、真実を知らず、おかしなことを言っているからであります。
  もともと破防法成立の時には、議会で、さまざまな異論が出て紛糾し、結局、国家の組織を破壊したり、社会の秩序ある生活を破壊するものに対する法律であり、かつての共産党がとったような、暴力的行動について適用する以外には用いないということを、この法の精神として、辛うじて通過したものであります」
 最近の、創価学会に対する悪意に満ちたデマ記事の氾濫に眩惑され、政府当局者までが、悪辣な策略に乗せられつつあると感じられた。
 その背景については、推察の域を出ないが、戸田にとっては、これほど心外なことはなかった。

 彼は、激しい口調で言った。
 「わが創価学会が、いつ、どこで、国家の組織を破壊したか。社会の秩序を破壊したか、新聞や雑誌が、正しく認識もしないままに、暴力宗教であるとか、神棚や仏壇を焼いたとか、壊したとか、そうした一方的で独断的な記事を報道しているにすぎない。創価学会は、布教において暴力を用いることなど断じてないし、また、神棚や仏壇を壊せとか、焼けとかいった指導は、今まで、一度たりともしたことはない。これは、皆さんもよくご承知の通りです。
 一部の無認識な報道に動かされて、破防法だなどと、とんでもないことを言っているのが事実とすれば、今の役人は困ったものです」

 しかし、同時に戸田は、世間の非難の根拠となっている誤解について、この際、はっきりしておかなければならないと思った。そして、彼は、愛すべき会員に、謗法払いに関する注意を促した。

注(謗法払い)創価学会に入会する際、過去に信仰していた対象物を取り除くこと。入会者自身の意思で、本人が処分することになっている。

 
「この際、振り返って、われわれも留意しなければなりません。折伏の仕方、謗法払いの仕方に、こちらの行き過ぎも、一部にはあるのではないかと思う。仏壇を焼くようなことはしないでしょうが、問題は神棚だ。しかし、何も棚を壊さなくてもよい。棚の上にあるものさえ取ればよい。それを取るのも、『あなたが自分の意思で取りなさい』と言って、こちらが手助けしない方がよい。
 それを、しつこく、『あなたが取らなければ、私が取ってあげよう』などとやるようなことは、なかったかどうか。そういう謗法払いの仕方は間違いです。また、ご主人の承諾なくして、奥さんにやらせたりするのも問題です。そのところを、よくよく注意してください」
 戸田は、破防法の問題にさっそく手を打った。彼の年来の親しい友人であり、元衆議院議員の弁護士・小沢清をして、公安調査庁長官に面談させ、その真偽をただしたのである。

 12月2日午前、小沢弁護士は、公安調査庁で長官に詰問した。
 長官の言明によると、創価学会に触れたことは一言もない。もし、あるとするなら、テープでも何でも持ってきてほしいということであった。
すると、M紙の恐るべき誤報といわなければならない。

 創価学会は、同新聞社に抗議した。
 渉外部長であった山本伸一は、紙面の担当者に面会した。新聞社は非を認めて謝罪し、12月14日の同新聞に、事実無根であった旨の訂正記事が掲載され、一か月を経て落着した。

 だが、悪意のある誤報というものが、これで後を絶つというには、いたらなかった。創価学会の使命と目的が、いよいよ明らかな実証をもって現れる時、その前進を妨げようとする魔の働きも、思いもかけぬところから、火の手をあげるようになったのである。

パームサンダー


たいへんお気の毒なことです。
しかし、いつかは、誰人たりとも一度は死ぬものです。
また、御主人を亡くされたのは、あなただけではありません。
その悲しみは深く、寂しいこともあるでしょう、そいう目に会った人でなければ、その奥底の苦しみ、苦悩は、わかるものではないでしょう。

しかし、だれかが、おせじをつかってくれたからといって、宿命転換はできません。
結局、自分の力で生ききっていく以外にないのが、この人生です。
そのための、大法であり、信心であることを、忘れてはなりません。
生死の二法を解決できうる妙法です。
そういう重大時期があったとき、悠々と、ふたたび前進できるための御本尊であり、信心です。
そのときになって、”御本尊はどうしたのだろう。私はもう悲しくてしかたがない” といっていたのでは、あまりにも弱い人間であり、敗北者になってしまう。

信心は感傷ではありません。堂々たる、確固たる人生の前進です。幸福への前進です。
多くの学会員の中には、若い時に、御主人を亡くされた方が、何人もいます。
ですが、皆、立派に生き抜き、一家を繁栄させている。
ですから、御主人の追善供養のためにも、また、子供さんの成長のためにも、御本尊を今こそ抱きしめて、”ほんとうに御本尊の力はすごい、御本尊と共に、主人もいるのだ” という決心で信心を貫き通すことです。

信心は信心、主人は主人、死は死、悩みは悩み、と別々に考えるのではなく、一切法がこれ仏法ですから、この根本の信心によって、いっさいを解決していくことが正しいのです。
よく例えられることですが、人生とは1万メートルの競走をしているようなものなのです。
1万メートルいかなければ、成仏はできない。
福運のある人は、その1万メートルが平坦である場合と言えます。
宿業の深い人は、その1万メートルに川があり、谷があり、山があって、それを越さなければならない人もいます。
信心が強い人、生命力の強い人は、いずれにしても、1万メートルを、へこたれないで駆け足でいける。
信心が弱い人は、途中で休んで、そのまま動かなくなってしまったり、引き返したりしてしまう。
”進まざるは退転”です。いずれにしても1万メートルをきちんと歩くなり、駆け足なりしていかなければ、宿命打破はできない。宿命転換はあり得ない。一生成仏はできないのです。

いま、ちょうどあなたの眼前に、その谷がある。それが見えてきたからといって、あなたは引き下がるわけにはいかない。それを越していく以外にないでしょう。
その悩みを、その苦しみを乗り越えて、初めて成仏の境涯に到達できるのです。
あなた自身が大福運を積み、御主人にまで、立派に功徳を回向できるのですから、勇気ある前進をしていってください。
人になんと言われようと、そんなことはどうでもいい。強く生きなければなりません。
どんなに休もうが、人生の1万メートル競走だけは、走りきらなければならない。
だから早くやったほうがいいのです。あとが楽になるのです。
創価学会としての1万メートルは、広宣流布の実現ですが、個人個人についていえば、ぜんぶ個性が違うように、宿命も違い、その前進の姿も違ってくる。
しかし、1万メートルという長さには変わりないのです。

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常楽我浄の ”常” とは、私たちの生命は三世常住です。永遠の生命であるということです。
小乗経、爾前経は、その反対の諸行無常であり、永遠ではないと説いています。
したがって、ずっと低い教えになります。

一般に、世間の社会観、人生観というものを見ても、永遠の生命などということは、ほとんどの人は考えていないのではないでしょうか、行き当たりばったりの人生です。
ですが、よく考えてみると、悪いことをしてはいけないという気持ちは誰にもあります。
生命がこの世限りで泡のように消えてなくなってしまうのであれば、悪いことを、したいだけして、人生一巻の終わりとして、死んでしまえばいいことになる。
しかし、人間は誰しも、最後には良心の呵責にあって、そんな無責任なことはできません。
ということは、無意識のうちに、生命が永遠だということを感じているのだと言えるのではないかと思います。

”楽”とは、楽しむということです。
すなわち人間は、この地球上に楽しむために生まれてきたということです。
今は、考えてみると、夫婦げんかをしたり、借金に追われたり、あるいは病気で苦しんでいたり、家族のことで悩んでいたりと、まるで苦しむために生きているようなものかもしれません。
まさに現実は、個人も、一家庭も、社会全体も暗いことばかりかもしれません。
ですが、本当の人生は、そうではない。
楽しみに来たというのが、”楽”なのです。
ただしその、”楽”といっても、現在の多くの人たちは、たいてい、ただの快楽を求めているにすぎません。刹那主義です。人を殺しても、押しのけても、一瞬だけでも自分が楽しくあればいいといった、瞬間的快楽しか追っていないのが現状ではないでしょうか。

そうではなくて、しみじみと”この世に生まれてきてよかった、ああいい家庭だ、楽しい人生だ、幸福だなあ”という個人であり、そしてまた一家であり、社会でなくてはなりません。

”我”とは、幸・不幸を感ずる生命それ自体であります。
この生命自体は、つねにいろいろな欲望を達成していきたいとの思いにかられています。
”我”がなくなり、自己を満足すべき生命がなくなってしまったら、楽しみがありません。
小乗経では、灰身滅智(けしんめっち)といい、欲望というものを、精神的にも肉体的にも離れよ、と説いています。
しかし、日蓮大聖人の仏法は、煩悩即菩提、生死即涅槃で、平たく言えば、たくさんお金をもうけたり、美味しいものを食べていいのです。
この欲望充足を求めてやまぬ生命それ自体が、”我”であります。
人間の生命というものは、もともとそういうものといえるのです。
最高度に強い、”我”をもち、この地球上の楽しみを、この生命を感受していっていいのです。誰に遠慮することはないのです。

つぎに、”浄”とは、それであって、しかも清らかな生命であるということです。
南無妙法蓮華経は仏界ですから、御本尊を持ったならば、どんな濁った世の中にあっても、清らかな生命活動をしきっていける。これが、”浄”なのです。
現在の人々の生命は濁りきっています。
その証拠に、正しいものを正しいとみない。正しい仏法を信じようとしない。そのために、ますます生命が濁って不幸になっています。
したがって、世の中を幸せにしていくためには、まず、妙法によって各人が人間革命され、”常楽我浄”にならなければなりません。
それを根底として、やがて世界も、国家も、民族も”常楽我浄”になるというのが、私たちのなさんとする広宣流布なのです。

ウクライナホテル

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フランスの共産党は、「自由の宣言」のなかで、宗教に関する全き自由を謳い、イタリアの共産党は、バチカンとの共存を志向している。
資本主義国の共産主義者たちは、宗教について、新たなる次元に立って、思考せざるを得なくなりつつある。現実の厳しさは、いつか人間の知恵の発動を促すのであろう。

宗教に関する現代の無知は、あらゆる現代の無知のなかで、最大のものの一つではなかろうか。碩学マルクスでさえ、はなはだ杜撰であった。
さまざまな宗教の功罪について、また、その高低浅深について、深く思いをいたす現代の識者は皆無に等しい。この事実は、現代社会における、最大の不幸の一つといってよい。現代の人間の不幸の根が、実は、このような無知にあることを、人々は、ほとんど気がついていないのである。

宗教を論じるからには、何よりも、その宗教の本質をまず問うべきである。信じるものが、なんでも良いとは断じて言えないことは、日常の飲む水が、水なら、どんな水でもよい、などと言えないと同様である。選択は、宗教に関しては、ことに厳しくなければならない。人生に深くかかわるからである。

戸田先生は、この理を、日蓮大聖人の仏法によって初めて知り、救世の原理として弘教する使命を、わが身に課した。さまざまな宗教の中で、アヘンのような作用をする宗教が、いかに多いかを知っていた。
したがって、戸田先生が宗教と言い、仏法という時、生命の法則の実在を信ずるところから語っている。つまり、生命という、不可思議な実在の次元から語ったのである。そして、仏法の歴史の上から、また、実践と実証の上から、生命の法則を、すなわち、日蓮大聖人の仏法を解了したのである。

戸田先生は、この仏法を、人々にわかりやすい表現として、生命の科学と言ってもよいとまで公言してはばからなかった。この本源的な法則の見地から、宗教がもたらす結果について、極めて峻厳にならざるを得なかった。教えが誤っていれば、人々は、それに惑わされ、誤った人生を歩むよりほかないからである。

また、戸田先生は、この仏法の視点から、あらゆる社会現象を見ていた。仏法でいう一念の歪み、つまり、ある瞬間の生命の歪みによって、どのような影響を及ぼすかを見極めていた。
たとえば、科学そのものには正邪はないが、科学する者、科学を操作する者の生命状態によって、正邪が生じるのである。その生命の状態、ある瞬間の一念が、原水爆の悪魔的災害さえも生むのである。時代は、一年の狂いが、人類の絶滅さえ起こしうるところまで来てしまった。

「仏」の対極にあるものを「魔」という。「魔」とは、能奪命者、殺者とも訳され、心を悩乱させ、仏道を妨げ、さらに、生命の力を奪い、破壊させていく働きである。そして、それが、人間を支配しようとする野心や欲望ともなるのである。この「魔」も、もともと生命の内に潜在しているものなのである。

仏法では、人間社会の不幸、苦悩、そして、混乱と破壊の奥に、この「魔」の発動があることを、深く見極めてきた。
理性や道徳が、「魔」の抑止力たり得ないことは、数々の歴史の例証を持ち出すまでもなかろう。ヒトラーが見せた悪魔的天才ぶりは、そのすべてを語って余すところがない。

戸田先生は、現代人の多くが、政治体制など、自身の外の変革に眼を奪われ、肝心の自身の内なる変革に思いを致してこなかったことが、宗教への無知や偏見をもたらしていることを、青年たちに教えておきたかった。
宗教に関する恐るべき無知は、自由主義社会にあっても、社会主義社会にあっても、いささかも変わりはない。ただ、宗教活動の自由については、はるかに自由主義社会のほうが束縛がない。

凱旋門

「宗教上の不幸は、一つには現実の不幸の表現であり、一つには現実の不幸に対する抗議である。宗教は、なやめるもののため息であり、心なき世界の心情であるとともに精神なき状態の精神である。それは民衆のアヘンである」

この宗教アヘン説は、以来、マルキストたちのイロハとなって疑う者もなく、その陣営で長くドグマとして君臨していた。
マルキシズムの実践者で、また、俊敏な哲学者でもあったレーニンも、宗教アヘン説に何の疑いも抱かず、それを継承している。
レーニンは、1909年に発表した、「宗教に対する労働者党の態度について」という一文で、アヘン説の継承者となったといってよい。

「宗教は民衆のアヘンである・・・このマルクスの格言は、宗教の問題におけるマルクス主義の世界観全体のかなめ石である。マルクス主義は、現代のすべての宗教と教会、ありとあらゆる宗教団体は、労働者階級の搾取を擁護し、彼らを麻酔させる役をする、ブルジョア反動の機関であると、常に考えている」

マルクスとレーニンという二つの権威の高峰は、その陣営において、彼らの宗教観に対するいささかの懐疑をも圧殺してきた。しかし、現実を圧殺することはできない。現実は常に生き、生き続けているからである。
複雑にして膨大な現実のすべてを、国家・社会という概念の中に包み込むことはできない。
彼らが包みきれない世界・・・人間の生命、そしてその生命の働きこそ、現実を生み出している本源なのである。国家・社会の成立以前から、宇宙的規模で実在した生命の世界を無視しては、人間存在の全き理解はない。
このような生命の実在を無視して、何が、いったい科学的であるか、はなはだ疑わしい。宗教を幻想とする杜撰な結論の行き着くところを、マルクスは、次のように要約している。

「民衆の幻想的幸福としての宗教を廃棄することは、民衆の現実的幸福を要求することである。民衆が自分の状態についてえがく幻想をすてろと要求することは、その幻想を必要とするような状態をすてろと要求することである。宗教の批判は、したがって宗教を後光とするこの苦界の批判をはらんでいる」

つまり、国家・社会におけるあらゆる矛盾・・・階級対立の問題、国家そのものの問題、経済機構にはらむ問題など、民衆の生活的現実における、あらゆる矛盾が解消した暁には、幻想にすぎぬ宗教は、消滅するだろうというのである。果たして、そうであろうか。

マルクスの死後、地球上には、なるほど数多くの社会主義国家が誕生した。ところが、これらの国々の現実では、人間の自由について束縛を感じている多くの民衆の「なやめるもののため息」が、相も変わらず聞こえてくるのは、なぜであろう。
理想だったはずの”失業とインフレのない国”の悩める者のため息である。このため息は、やはり人間存在の心底から発するところの現実のささやきであり、決して幻想ではないのである。現実は復讐する。それは、マルクスの宗教観に対する復讐だったのであろうか。

この現実の、否定しようのないため息について、社会主義体制下の国々の指導者たちは、口をそろえて、彼らの夢見る高度な共産主義社会へいたる道程における、過渡的な現象にすぎないと言うだろう。

しかし、二度と返らぬ人生にあって、現に苦悩に沈んでいるこれらの民衆にとっては、「約束の地」の無限の先送りといわざるを得ない。
人間は、何かを信じないでは、今、この一瞬においても、指一本動かすこともできない。どんな行動も、何ものかを信じたところから始まる。人間は、信じるに足る、何かが必要なのである。これは、社会主義国家においても、なんら変わるところはない。

宗教を好ましからざるものとした政治体制の社会では、それを強行する政治思想そのものに、宗教的機能をもたせ、いつか、その思想を絶対化せざるを得なくなっている。いわゆる”相対的なるもの”の絶対化であり、不自然なことである。人間精神の偏在化、歪曲化、硬直化に通じるだろう。
マルクスの宗教アヘン説に、彼の陣営の人々も、ようやくにして、この恐るべき偏見について、疑惑を感じ始めたといってよい。政治と宗教に関する模索の末、宗教アヘン説の杜撰さに気付き始めた。

ストックホルム

政治と宗教の問題は、社会主義体制のもとにあっては、鋭く対立せざるを得ない。
政治権力による宗教抑圧政策は、日蓮大聖人の仏法といえども、その対立を危うくさせるにいたるだろう。

日蓮大聖人は、当時の既成仏教を破折されたが、マルクスも宗教をアヘンとして批判した。
一脈相通ずるものがないとはいえないが、マルクスは、ヨーロッパ文明の背景であるキリスト教、なかんずくプロテスタンティズムに焦点を当てて、それをもって宗教一般を批判してしまった。
大聖人は、宗教の正邪の識別を叫ばれ、誤った宗教の根絶を念願とされた。
しかし、マルクスに、宗教について十分な知識があったとは思えない。

もしも、マルクスが、大聖人の仏法を知っていたとしたら、マルクスは、あのような性急な結論は下さなかったに違いない。
また、もし、マルクスが大聖人にあって話し合ったとしたら、おそらく三歩下がって敬服したに違いない。マルクスともあろう人物が、それくらいのことを気づかぬはずはない。
残念なことだが、マルクスは、大聖人の仏法の存在を知らずに、宗教を批判していた。

一口に宗教といっても、大聖人の仏法と、他の宗教とは、根本的に違う。
マルクスの信奉者は、このことを考えようともせず、彼の宗教否定の言説を、ただ信奉しているだけになっている。
しかし、人類の運命が危機に遭遇し、切羽詰まったら、人間の知恵は、やがて大聖人の仏法に帰着するに違いない。

カール・マルクスは1844年、パリで「独仏年誌」に「へーゲル法哲学批判序説」という小論を発表した。この小論は、彼の宗教観を知る著名な論文となったが、彼が、いったい、どの程度、宗教というものを理解していたかを、つぶさに知ることも、また可能である。
彼が、この小論で「宗教」という時、ドイツのキリスト教に焦点を当てて論じていることは明らかである。たとえば、マルチン・ルターの宗教改革を、かなり正確に認識し、結局、理論的な変革にすぎなかったとしている。

「ルターはたしかに帰依による隷属を克服したが、それは確信による隷属をそのかわりにもってきたからであった。彼は権威への信仰を打破したが、それは信仰の権威を回復したからであった。彼は僧侶を俗人に変えたが、それは俗人を僧侶に変えたからであった。彼は人間を外面的な信心から解放したが、それは信心を人間の内面のものとしたからであった。彼は肉体を鎖から解放したが、それは心を鎖につないだからであった」

このプロテスタンティズムに対するマルクスの批判は、宗教改革が、いかにラジカルに見えようとも、僧侶の頭から生まれたものであったがゆえに、そこに限界があり、現代は哲学者の頭から始まらなければ、真の改革はあり得ぬとするのである。

そこで哲学者マルクスは、宗教を現実の不幸の表現として、まずとらえる。
そして、人間が、辛い不幸な現実からの脱出を、空想的に考えざるを得なくなったとき、幻想としての宗教を生み出すとする。

「宗教は、人間存在が真の現実性を持たない場合におこる人間存在の空想的な実現である」
マルクスが、人間存在の現実性という時、必ずしも、人間を全体的にとらえているとは言いがたい。
肉体と心を持つ人間、物質と精神とをもつ人間を、この哲学者は、完全にとらえていないところから発想している。

「人間といっても、それは世界のそとにうずくまっている抽象的な存在ではない。人間、それは人間の世界のことであり、国家社会のことである。この国家、この社会が倒錯した世界であるために、倒錯した世界意識である宗教を生み出すのである」

マルクスの所説を整理すれば、人間の世界=国家・社会となり、国家悪・社会悪が悪しき意識たる宗教を生むということになる。
われわれは、確かに国家・社会に生きているが、それがすべてではない。
同時に、宇宙のなかにも、自然のなかにも生きており、歴史のなかにも、人間精神の世界のなかでも、呼吸している生物である。誰が、いったい人間の世界を、国家・社会に限定することができよう。

生命という、色もなく、形もなく、宇宙に遍満しているものは、すべての人間のなかにも実在している。哲学者マルクス自身にも、生命あるいは生命の働きというものは疑いもなく実在しているといってよい。
生命の実在は、決して空想ではない。
人間存在の現実性は、この生命の働きそのものであることを忘れてはならない。
マルクスは、そうした人間生命の全体像を見ることなく、国家・社会の中にのみ人間の世界を還元してしまった。
なるほど、マルクスも、人間の生活を、自然から物を奪取する生産に基礎を置いている限り、自然を度外視しているわけではない。
しかし彼は、人類の発展を、生産力と生産関係にあると規定し、そこに国家・社会の弁証法的歴史的発展を見て、彼の階級理論に、人間をことごとく繰り入れてしまった。
自然や、宇宙や、精神との人間の関係は、いつか脱落して、人間の世界を、国家・社会の次元に還元して、理論を進めざるを得ない。

この概念規定のうえに、彼は、宗教批判を始めてしまった。
一見、どんなに彼の所論が明快に見えようとも、偏ったその着想は、ついに結論においても、杜撰であることを免れることはできない。


オネガ

選挙があろうとあるまいと、学会行事は、いささかの変更もなく推進することが、たゆみない広宣流布の姿でなければならない。

座談会その他、日常の活動を、一層、活発化することによって、まず、組織の活力を取り戻さなければならない。

私たちは何をもって勝つのか。
それは団結である。しかし、団結といっても、政治屋の団結ではない。
われわれは、同志の団結という以上、信心の団結でなければならない。
全人類の宿命の打開のために生涯をかけた人々の、御本尊を中心とした団結です。

われわれは、選挙のための選挙をやっているのではない。
しかし今は、選挙、選挙と先走ってしまい、何のための選挙かということも忘れて、日ごろの学会活動なんか、かまっておれるかということになってきた。
信心を邪魔にさえ思い、選挙一辺倒でなければ、勝てないように錯覚している。
焦る気持ちは、よくわかるが、広宣流布の戦いは、広大で長遠です。
人類の平和と文化を推進していく総合的な戦いです。
たかが目前の選挙ぐらいで信心を見失っていて、どうしますか。
信心の原点を忘れて、いったい、われわれに何ができますか。
今こそ、信心で奮い立ち、広宣流布というものへの広い視野と、深い自覚に立って、自主的に総立ちすることです。
座談会も、その他の必要な会合は、堂々と開くべきです。
地区内の会員、友への励ましも、さらに活発にやらなくてはならない。
日常の学会活動の一切を選挙運動に切り替えるのではなく、日常の学会活動のうえに、臨時に選挙運動が加わったのです。
この活動方式以外に、おそらく確実な勝利の道はないだろうと断言する。

妙法の使命を胸に秘めて立候補した同志を応援する・・・この使命を同じくする人の団結ほど強く、また尊いものはない。
この実践活動が、立正安国を、一歩一歩、進めているのです。やろうじゃないですか!

心の底から使命を自覚した私たちの力は、どんな困難をも乗り越えていくことができます。
お互いに、しばらく忙しい思いもするでしょうが、これも広宣流布の途上における一コマです。

モスクワ



本当の日本の国の平和と安泰を思う時、政治の分野では衆議院にも参議員にも、真に民衆のために体を張っていく妙法の使徒が、数多く輩出されなければならない。
これは、教育の分野にも、また芸術や科学といった世界にも通ずることである。
政治のための政治をするのではない、あくまでも日本の民衆の福祉のために戦う。政治は、そのための一つの手段である。

政治には政党がある。それぞれ民衆に日常生活の幸福を与えようとするための政党であると思う。
願わくは、名実ともに、そうであってほしいと思う。
戸田先生が、政治の世界に候補者を立てたのは、政治的野心に基づくものではなく、ひとえに民衆の幸福と、社会の平和、繁栄を願う一念より発したものである。
つまり、創価学会が政治化したのではなく、その念願を達成するための一分野にすぎぬというのである。
この戸田先生の思いは、この当時の学会員には、深刻にして正鵠を射た理解を得るには遠かったにちがいない。まして、一般世間の人々にとっては、さらに、なんのことやら、わからなかったであろう。

民衆の物心両面にわたる幸福について、その責任を自らに課した戸田先生は、政治の病根を深く洞察していた。彼がこよなく愛した民衆は、相も変わらず政治の重圧に喘いでいる。それがまぎれもない現実であった。

私利に走り、党略に没頭して、権力の争奪に専念する政治家たち。そのような政治家の徒党集団と化していく政党。
そして政治から置き去りにされ、その犠牲となるのは、常に民衆である。
戸田先生は、民衆の怒りを肌で知っていた。
しかし、権力悪の根源を見抜いていた戸田は、民衆の怒りを、直接、政治勢力化して行動を起こしたとしても、それだけでは、真の民衆のための政治の根本的な変革からは、程遠いことも承知していた。
戸田城聖の醒めた心は、彼の半生の結論として、政治の世界に巣くう権力の魔性の存在を、疑うことができなかった。
本来、民衆の平和と幸福に奉仕すべき政治が、いつの間にか民衆を苦しめる魔力と化していく・・・その現実を鋭く見抜いていた戸田にとって、政治の根底的な変革とは、魔性との戦いにこそ、その焦点があることは明白であった。
一つの政治権力が打倒され、新たな別の政治権力が登場しても、その魔性は消滅しないことも、戸田は知っていたのである。

19世紀から20世紀にかけ、世界では、さまざまな政治体制の国々が生まれた。
しかし、依然として民衆は、政治権力の魔性から解放されたとは言い難い。どう政治体制が変わっても、いつしか民衆を苦しめる魔性に支配されていく、その愚かな権力の流転の歴史を、戸田は思わずにはいられなかった。
この途方もない愚劣さからの脱出・・・それこそ、民衆が心底から渇望しているものであろう。
それは、もはや政治の次元で解決のつく問題ではないのだ。
戸田は、早くから、こうした問題の本質を、明らかに洞察していたのである。

民衆の平和と幸福のためになるのであれば、どんな政治形態であっても差支えないだろう。
戸田は、政治形態を批判していたのではない。政治そのものに巣くう魔力が、問題の焦点であった。
それは、政治権力を握った者、政治化の内にこそ潜んでいることは理の当然である。
魔は、自由主義体制や社会主義体制に潜んでいるのではない。
それらを支えている政治家、その人間の内部に巣くう魔の力が、それらの体制をむしばんでいることを、戸田は問題の帰結としたのである。

すべての人間は、十界を具しているとする仏法の真理に照らすとき、魔の正体は初めて明らかになる。
政治権力の魔性も、人間生命に焦点を合わせたとき、発生の根拠を初めて知ることができる。

世間の人々は、この事実に全く気付いてはいない。そればかりでなく、仏法の原理をもって迫っても、耳さえ貸そうとしない。そして、今も権力をめぐる争いの中で、多くの民衆は、いたずらに犠牲となっているだけだ。
これ以上の人類の愚行はないはずだ。しかも愚行の歴史は数千年にわたっている。

メキシコ



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